『雪国』読了
雪国
川端康成著
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。
このフレーズはとても有名なのではないかと思う。
不思議なもので、たったこれだけで底冷えする雪の日に、もうすぐ終わりそうなトンネルの先に一層雪が深くなった景色が、目の前に現れるようだ。
川端康成は日本が誇る素晴らしい文豪であるが、個人的には少し苦手だ。着眼点が生々しすぎるというか、表現の湿度が高すぎる。そういった女性は多いのではないかと思う。
私は、男性作家の作品に登場する女性は、その作家の理想の女性像だと思っている。
“別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は 毎年必ず咲きます。”というのは川端康成の作品の有名なセリフだが、彼はこういうことを言うような女性が、男女関係が好きなんだろうと思う。
男は名前をつけて保存、女は上書き保存とはよく言うが、非常に的を射ている。女性は案外あっさりしていて、別れを決意した瞬間から意識が次に向かっていたりする。つまり、別れた男が自分と過ごした時間をどう思い出すかなんてことは、女性にとっては甚だどうでもよいことなのではないかと私は思っている。
これで片付けてしまっては、文豪・川端康成に失礼なので『雪国』について書く。
出だしの“国境を〜”がかなり有名なのに対し、実際に全文を読んだことがある人は少ないのではないかと思う。
理由は恐らく、本作のテーマが不倫関係であること、また随所に情事を思わせる場面があるためではないかと思う。
『伊豆の踊子』は小学生のときに読んだが、『雪国』は読んでいない。取り扱う題材が不倫では、学生の課題図書にすることは難しい。
以下は、印象に残った文章について。
主人公である島村が、電車の窓ガラスから外の景色と、窓ガラスに映る女性の姿を見ている場面。
遥か山の空はまだ夕焼の名残の色がほのかだったから、窓ガラス越しに見る風景は遠くの方までものの形が消えてはいなかった。しかし色はもう失われてしまっていて、どこまで行っても平凡な野山の姿が尚更平凡に見え、なにものも際立って注意を惹きようがないゆえに、反ってなにかぼうっと大きい感情の流れであった。無論それは娘の顔をそのなかに浮かべていたからである。窓の鏡に写る娘の輪郭のまわりを絶えず夕景色が動いているので、娘の顔も透明のように感じられた。しかしほんとうに透明かどうかは、顔の裏を流れてやまぬ夕景色が顔の表を通るかのように錯覚されて、見極める時がつかめないのであった。
ガラスに映る姿を流れる景色と共に見ている、という珍しい描写が登場するのが『雪国』の特徴。やはりこういった描写の仕方からも、川端康成らしい執念深さのようなものを感じる。
ここで描写されている女性は、後に島村の愛人として散々登場する駒子ではなく葉子であることに驚いた。
本作には、島村が愛人関係になる、妙に生きるエネルギーに満ちている駒子、そして最後まで正体がわからない、不思議な魅力を持つ葉子の二人の女性が登場する。
葉子は全体的な登場回数は少ないものの、序盤でこれだけ美しく描写されている点から見て、葉子こそが、川端康成が描きたかった人物なのではないかとさえ思ってしまう。
最後の思わぬ展開と、あっけない最後に拍子抜けしてしまった。しかし、それも葉子を美しく描くためだったと結論づければなんとなくしっくりくるような気がする。