『起こらなかった世界についての物語―アンビルト・ドローイング』読了

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起こらなかった世界についての物語―アンビルト・ドローイング
三浦 丈典著

 

 

“アンビルト・ドローイング”という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

建築の世界では一般的な言葉のようですが、わたしは建築の世界とは縁がなかったので、本著を通して初めて知りました。

“アンビルト”というのは、un-built、「建てられることのなかった」という意味の言葉です。つまり、“アンビルト・ドローイング”は un-built drawing、建てられることのなかったドローイングのことなんだとか。

 

本著で紹介されているドローイングは、建築の完成予想図というよりは、“アンビルト・ドローイング”一枚の絵画を見ているようなものが多いです。著者の三浦 丈典さんによる優しい言葉で、ドローイングが解説されているので建築に馴染みのない初心者にとっても入りやすくなっています。

 

本著を通して、三浦 丈典さんの哲学の根底には、存在するものはいつか壊れるものであり、何もない状態が一番美しいという破滅願望のようなものがあるように見えました。今あるものは決して永遠ではない、すべてのものはいつか終わりがくるというようなことが優しく語られていており、芸術とは儚い、だからこそ美しいのかもしれないとひしひしと感じました。

 

印象的だった文章を紹介します。

飾りたい絵と好きな絵というのは似ているけどすこし違う。
好きというのはおもしろいとかめずらしいとか興味深いとかも含まれているけれど、飾るとなるともっと慎重になる。
…(中略)…
見守られたい絵というのは美しいばかりでなく、壮大で優しく、永遠に手の届かない資質のようなものを含んでいてほしい。

実現すべき世界を描くというしがらみから解放された建築家には、いつも悲しみを含んだすがすがしさがある。そのすがすがしさは「ここではないどこか」を描くときに大切だ。

 

飾りたい絵と好きな絵が違うというのは、どこかでわかっていたことなんだけど、改めて言葉にされると新鮮です。

好きな音楽となんとなく流しておきたい音楽が違うように、憧れの人と一緒にいて心地良い人が違うように、興味の対象とそばに置きたい対象って確かに違いますね。

 

「いつも悲しみを含んだすがすがしさ」は本著を通してのテーマのように感じました。ぜひ『起こらなかった世界についての物語―アンビルト・ドローイング』を手にとって「いつも悲しみを含んだすがすがしさ」を感じてみてください。