祖母が介護施設に入った話

※特に有益は情報は書いていません。ただ、今の気持ちが並んでいるだけです。

 

10月のある日、祖母が介護施設に入った。

 

何年か前、祖母は少しずつだけど、同じことを繰り返し言うようになった。
周りの人は、認知症かしら?と思いつつも、繰り返し主張する以外日常を支障なく過ごす姿を見て「まあ元々ああいう人だったから」なんて軽く流していた。

これといって決定的な出来事は特になく、ただ少しずつ少しずつ日常のことが自分でできなくなっていった印象があり、少しずつ疑惑は確信に変わっていった。

 

祖父は、祖母よりは頭も体もしっかりしていたので、祖母の助けをしていた。
老老介護なので祖父のストレスは物凄かったと思う。
そして、何度も同じことを言う祖母と一緒にいるためか、祖父にも認知症の症状が見えるようになった。
次第に2人は喧嘩が増えていった。
理由は明白で、お互いが自分で自分のことができないからだ。そんな2人を見て母や私も疲れてしまった。

 

事ある毎に、祖母は母に電話をかけた。
母と祖母は車で20分くらい離れた場所に住んでいる。

認知所の症状なのか、祖母の性格なのかはわからないが、祖母は一つ気になることがあるとずっとそればかり気にする。
酷い時には同じ事の確認で、数分置きくらいに電話がかかってくる。
そのたびに母はしっかり説明をする。しかし、認知症は直近の記憶からなくなっていくため祖母は混乱し、そしてまた電話がかかってくるの繰り返し。

電話を受けた母は、必要があれば車で祖母の家に向かった。
母は自営業なので、所謂会社員よりは時間に融通が利く。
とはいっても母には母の生活があるため、祖母にかかりきりになるのは難しい。

 

祖母は脳の認知症は進んでいるものの、体は至って元気で歩行をはじめとした日常の動作はまったく問題ない。これが介護施設に入れることを戸惑った一番の理由なのだ。

(歩行などに問題がないからこそ転倒などが危険なのだけど)

 

介護施設の入居日、祖母には「少し入院するだけだから」と言って連れて行った。
どうやらそれが入居を嫌がる方を連れて行く常套手段らしい。

初めて介護施設を訪れた祖母は「なんだか来たことがあるね、いつだったかななんで来たんだったかな」と言った。
私は、それを聞いて泣きそうになってしまった。
ここは祖母の終の棲家になるかもしれない場所。“懐かしい印象”を受けたことが不思議で嬉しかった。
“なんだか好きになれない”よりは、直感で“来たことがある”と感じる場所の方が余程良い。
少しでも良い印象を受けてくれるのであれば、家族は救われるのだ。

 

もし私が認知症になってしまったら、家族に迷惑をかけるくらいならばすぐに介護施設に入れてほしいと思う。
大切な家族が疲弊しながら複雑な感情で介護をするくらいなら、お金を払ってプロの介護を受けた方が良いと思うからだ。
また、家族の足枷になるだけなので自分のお墓も必要ないと思っている。

 

一方で祖母の世代は、家族が面倒を見るのが当たり前で、当然家が終の棲家なのだ。
つまり介護施設に入れられるというのは、感覚として捨てられるというのと同然なのではないかと思う。
ジェネレーションギャップというのだろうか、なかなか根深く難しい問題だ。
しかし、家族が疲弊していくのも事実問題なのだ。介護から事件に発展する話も少なくなく、何かあってからでは遅い。

 

今はまだ何が正解なのかはわからない。
祖母の家に行ったときに、嬉しそうにひょっこり顔を出す祖母はここにはもういないと思うととても悲しい。
でも、できあがったこの距離で、家族みんなが安心して生活する方法が見つけられたらいいと思う。